日本、アメリカ、タイ、そして台湾へとグローバルに活躍するフリーのイノベーションビジネスコンサル|EN Innovation Co., Ltd. 宮田 直栄 さん | ピリピリ 東南アジア進出をサポート!
Thailand タイ

日本、アメリカ、タイ、そして台湾へとグローバルに活躍するフリーのイノベーションビジネスコンサル|EN Innovation Co., Ltd. 宮田 直栄 さん

EN Innovation Co., Ltd. で、CEO & Founderを務める宮田 直栄 さんは、サンタ・クララ大学(米国)機械工学専攻を卒業し、自動車のデザインエンジニアとして新規技術導入や設計を担当してきました。その後、タイに移りチュラロンコン大学サシンMBA大学院を卒業し、旅行先で余った外貨を寄付するサービスの「Coin⇄Back」をタイで起業しました。その後、マレーシアのスタートアップであるServisHero運営責任者としてタイ進出に貢献してきました。 現在は、イノベーションビジネスコンサルとしてスタートアップ支援、海外進出支援、そして中小企業のDX・新規事業立ち上げを支援しています。そんな宮田さんに、タイの魅力やビジネスの可能性について伺いました。
 

祖父が50年前からタイに進出しMBAを通して自身も人脈を築く

最初に暮らし始めたころのタイの印象はどのようなものでしたか?
また迷った結果タイに行くことを決めて、後悔はなかったですか?


宮田さん:
タイに来る前はアメリカに大学期間の含め8年くらいいました。エンジニアとして自動車開発に携わっていました。ただ、自動車のフルモデルチェンジは5年に1回のサイクルなので、5年を過ぎるとまた次の5年10年と続いていきます。私自身は、新しい変化と企業がしたかったので、タイに住む叔父の誘いもあってタイに移り住みました。祖父は、50年前にタイに進出して事業で成功し今は叔父ふたりと従兄弟が経営しています。私も子どものころには、夏休みにタイの祖父の家に1週間ほど滞在するなど、タイには馴染みもありました。
ただ、実際に暮らしてみると苦労もありました。タイ語が話せなかったので、最初は友達や家族以外とは交流がありませんでした。また、タイでは発展しているところと、そうではないところの差が激しく、カルチャーショックも受けました。



タイで暮らし、ビジネスをしていく中で宮田さんご自身が最も苦労されたことはなんですか?それをどう乗り越えられたのか教えてください。

宮田さん:
最も苦労したのは、人とのつながりに関する部分でした。ただ、反対に乗り越えられた理由も、人との出会いでした。
タイに移り住んだことに戸惑いはありましたが、後悔はありませんでした。決めたことには後悔しない性格なので、新しいことだけに注力していました。そんな中で、タイに溶け込む大きな転機となったのは、チュラロンコン大学でMBAを学んだことでした。タイでビジネスをやりたかったのですが、自分にはビジネスのバックグラウンドがなかったので、大学院で学ぶことにしました。昔から企業することに興味があり、アメリカにいるときにも、当時暮らしていたオハイオ州でラーメン店を開きたいと考えていました。昔から、アイデアを形にしたい、という思いがあり、そのためにはビジネスを学ぶ必要があると考えたのです。そして、MBAに行ったことで、人脈が広がりました。同じクラスには、帰国子女やタイの富裕層が集まってくるので、そのときのネットワークはいまでもタイに進出する企業の支援に役立っています。

現地の人と共存共栄することがタイ暮らしのコツ

タイで長く暮らされている中で感じた生活や文化の違いなどはありましたか?
またタイ(海外)で暮らしていく中でのコツなどはありますか?


宮田さん:
タイの人たちから信頼してもらうためには、言語のバリアが大きかったです。スタートアップの最初の段階は、実際のサービスがないので、企業のビジョンとかパッションとか夢を言葉で表現しなければなりません。そのため、CEOの責任感として、すべて自分でやろうとしていました。しかし、あるとき吹っ切れました。もっとローカルに任せていこうと考え直して、ローカルの人に自分のやりたいことを話して、その人を経由してわかってくれるチームやファンを増やしていけるようになりました。経営して思ったのは、ビジョンを明確にすると同じビジョンを持つ人と共感でき、いい人材が集まるというころです。特に、タイでは女性が有能で、MBAにも女性は60%と多く、積極性のある女性の割合がすごく多いです。

宮田さんのもとに相談にいらっしゃる方とはどのように出会い、どのような悩みを抱えていらっしゃるのでしょうか。

宮田さん:
当初は日本人とつながる機会が少なく、相談に来るのはほとんどタイの中小企業でした。最初は、友達とか信頼できる友達の知り合いなどでした。いまでも知り合いからの紹介が多いです。Linkd inでつながった人とか、マネジメントを通して知り合ったり、ときにはコーヒーを飲みに行って、カジュアルで話をすると互いの本音が出て盛り上がり、そこから仕事につながることもあります。
相談してくる内容の多くは、新規事業の立ち上げや海外進出戦略と事業開発支援です。スタートアップに関しては、リソースや資金が限られているので、限られた中で自社の新しいアイデアがどのようにして企業のDX支援やビジネスインパクトを与えられるか、といったアドバイスを求められます。

そうした悩みには、どのように応えているのでしょうか。

宮田さん:
私自身の経験が役に立っています。
たとえば、私が最初に起業した「Coin⇄Back」では、海外旅行で溜まった小銭の問題が、自分だけのものなのか他にも同じように処理したいと考えいる人・ニーズがあるのか知りたくて、空港で700人に3ヶ月かけてインタビューしました。そこで、自分だけの問題ではないと肌で感じて、スタートアップの自信にもつながりました。そのような経験から常に根本的なニーズに着手し、どうやったらお金をかけないで大きなンパクトを与えられるか、という問題に対しても、クリエイティブに対処する方法支援しています。

そうしたクリエイティブな発想で、実際にイノベイティブなビジネスコンサルティングを実践した事例はありますか。

宮田さん:
はい。タイでガラス製品を製造・販売する企業の成功事例があります。その企業は、コップなどのガラス製品をホテルなど大口の顧客企業に販売していました。しかし、その会社はディストリビューター経由で販売していたので、顧客とのつながりがなく、利用者からの要望や世の中の流行などから隔絶されていました。
そこで、B2Bに特化したeコマースのプラットフォームを構築する提案をしました。そうしたら、これまでは大量に購入できるホテルなどの大口顧客だけだったのに、小さなカフェやホステルをオープンするオーナーさんが、小口の需要をまとめて、クラウドファンディングのようなスタイルで、大量に注文するようになりました。その上、商品を直接顧客に販売するようになり、売れ筋商品などのデータも得られるようになり、翌年の新しいコップのデザインにも活用できるようになりました。コロナ禍の中でも、eコマースの売上は堅調で、DXの成功例となりました。

タイランド4.0に注目しDXやIoTの成長に期待

今後どのようなサービス商材が日本からASEAN進出したら良いと思われますか。

宮田さん:
今後のタイの成長を考える上で、2つのテーマに注目しています。一つは、タイランド4.0です。これは、タイ政府が2015年に提示した長期的に目指すべき経済社会のビジョンです。この長期経済開発計画では、経済社会のデジタル化を加速させようとしています。なので、DXに関わるもの、IoTとの連携による新しい価値創造、オートメーションやスマート化、情報のデータ化とAI関連など、そうしたテクノロジーが求められると思います。
もう一つはSDGsに関わるものです。貧困の撲滅やエネルギー問題に気候変動対策など、世界中の人が向かっている方向に、タイでは政府も財閥も高い関心を示しています。ただ、昔のように日本から一方通行で技術や知識を提供するのではなく、日本の企業とタイの企業がコラボレーションしながら、協力してサービスや価値を作り出していく取り組みが求められてくると思います。

ご自身が、日本とタイ(ASEAN)の架け橋としての役割を担っていく上で、目標とされるビジネスモデルや参考にされる人物などはいらっしゃいますか。

宮田さん:
いくつかあります。
まずは、グローバルでボーダーレスなビジネスを目指しています。国境とか関係なく、ビジネスを支援していきたいです。私は子どものころから、多文化の中にいていろいろな国を経験しているので、自分の多様性とかダイバーシティな考え方を役立てていきたいと考えています。
また、私自身も日系企業からタイでのスタートアップまで幅広く経験し、いろいろな業種との仕事を通して、国境に関係ないビジネスを展開してきました。その経験を通して知り合えたフリーランスのネットワークを活用して、これからタイやASEANで挑戦する人たちのビジネスを応援できればと思います。

フリーランスのネットワークの活用とは、どういう取り組みでしょうか。

宮田さん:
ひとくちにASEANといっても、国ごとの個性というか得意な分野があります。
例えば、タイの人たちは、エモーショナルなマーケティングがうまい人材が豊富です。また、シンガポールには、経理やアカウンティングなどの業務に長けた人たちが多くいます。そして、フィリピンでは英語を話せる人が多いので、カスタマーサービスなどの事業が発展しています。さらに、インドネシアはマーケットとしての魅力があります。こうしたASEAN各国の強みを引き出して、ボーダーレスなビジネスを展開していきます。


常に危機感をもって自らのスキルアップとグローバル展開を見据えたビジネスを推進

宮田さんの積極的なネットワーク作りや常に新しいアイデアを創造される原動力は、どこから来ているのでしょうか。

宮田さん:
危機感が常にあります。
フリーになってからは、自分に知識がなかったら、すぐに仕事がなくなるという危機意識が、自分を動かしています。そのために、専門家に相談したり、YouTubeやいろいろな本を読みながら、自分のクライアントに提案できる知識やアイデアを吸収しています。その中で、ロールモデルとしている人物が、シリコンバレーのレジェンドで、「1兆ドルコーチ」という本で有名なビル・キャンベルです。私も幅広い年代の人たちと仕事を進めていくために、コーチングのライセンスを取りました。コーチングは、クライアントの悩みに対して、いろいろな観点から質問して、自ら解決策やアクションに繋げことをサポートをします。考え方の違う人たちとビジネスを動かしていく上で、重要な能力だと思います。

今後のビジネスの場としてタイ以外の国も考えてらっしゃいますか?それはどんな国ですか。

宮田さん:
ASEANはもちろんですが、台湾も考えています。台湾は自分のルーツでもあるので、子どものころの思い出と、大人になってから訪れた台湾では、イメージも可能性も大きく違っています。台湾の国内はマーケットが小さいので、日本に進出したいと考えている企業がたくさんあります。そこで、台湾とタイと日本という三つの国を経験してきた強みを活かしたいと考えています。

タイ・ASEANの魅力をひとことで表現するとしたら、どのような言葉を思いつきますか。

宮田さん:
「変化」です。タイでは、変化が求められていて、変化が認められています。変化がいろいろな意味で大きなインパクトをもたらしています。タイは、これからテクノロジーで大きく変わっていくでしょう。人の動きや考え方、習慣やマインドセットなどが、ポストコロナの時代になると、いままでの当たり前が変化して、新たな可能性や新たな未来につながります。そこが魅力です。


自身の経験をもとに様々なビジネスの支援を行う宮田さん。
単なるビジネスだけにとどまらず、人と人とを繋げ国境を越えたコミュニティの輪をつくっているのだと感じたピリピリ編集部でした。

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