日本を飛び出して海外で戦う日本人の挑戦~|吉田 達磨さん | ピリピリ 東南アジア進出をサポート!
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日本を飛び出して海外で戦う日本人の挑戦~|吉田 達磨さん

東海大付属浦安高校を卒業後、1993年に柏レイソルに加入し、京都、山形を経てシンガポールのジュロンFCで引退して指導者に転身した吉田 達磨さんは、2019年5月にシンガポール代表監督に就任しました。その年の9月には、カタール・ワールドカップのアジア2次予選で、イエメン代表と引き分け、パレスチナ代表に勝利して勝ち点4を獲得する好成績を出して、W杯を期待していなかったシンガポール国民を歓喜に沸かせました。その吉田代表監督に、きっかけや代表選手育成について伺いました。
 

シンガポール代表監督に至ったきっかけ

シンガポール初の代表監督として、ひとり海外の地で奮闘を続ける吉田達磨さん。
どのようなきっかけで、シンガポール代表監督になったのでしょうか。



「2019年の1月に、日本サッカー協会の指導者養成部門のトップの方々から連絡を頂いて、シンガポールの代表チームの監督を探している、と いう話を伺いました。そこで、僕の名前が出て、打診されました。最初は断るつもりでしたが、一晩考えてから話だけでも聞かせてもらおうと思い、2月の中旬くらいに、zoomでシンガポールのゼネラルセクレタリと面談することにしたのです。そこで、『俺たちシンガポールは次に進みたいんだ』という思いを熱く語られて、このオファーを受けてもいいんじゃないかと思い始めました。そこで、監督業の先輩方に連絡して相談すると、みんな『そんなのやれよ』と『Jリーグで監督やる機会もあるだろうが、代表チームという1つの国を率いて仕事をすることは、これからあるかないかわからないだろう』という話を聞いて、背中を押されて交渉に入りました。」(吉田さん)

代表監督という機会を与えてもらうことは多くあることではないので、思い切って飛び込んで、
難しいかもしれないけれどまずは「やってみる」と判断したと吉田さんは言います。

「一生に一度あるかないかというか、基本的にはないことが当たり前のチャンスなので、自分に自信があるとかないとか、そういうことではなく新しいチャレンジをするということは、自分にとって良いことでした。シンガポールのためにどうこうというよりも、まずは僕自身のために新しい経験をするべきだと思いました。」(吉田さん)
 

シンガポール国内のサッカー熱・期待値は?

シンガポールのサッカーは、1993年は確かFIFAランキング73位と高かったのですが、今は3桁と低迷しているそう。
国が小さいこともあり、国内リーグには盛り上がりがあまりないというのが現状とのことでした。
期待はされていない、しかし現地でのサッカーに対する熱量は徐々に盛り上がりを見せているとのことでした。
そんな中で、よりサッカー熱をもりあげていくために必要なことが何かをお聞きしました。

「まずは勝たなきゃダメだと思っています。小さな大会だろうが親善試合だろうが、まず勝つことで、『なんかあいつら変わったぞ。変な日本人が来てなんかよくなったぞ』と思ってもらうのが、最初の入り口です。
もちろん、勝つためにはチームが1つにならなければいけないので、選手たちには『誰かがどうだからとか、あいつがこうだからとか、国がどうだからとか、そういうことではなく自分自身でやろう』というのが、着任当初からずっと言い続けていることです。」(吉田さん)
 

代表監督として最初に行った施策とは?

代表監督になられて約2年半。就任してまず最初にやったことは何だったのでしょうか。
選手へのメッセージとしては大きく2つのことを伝えたと言います。
また、チームを率いていくうえでもっとも大切なチーム編成についても大きなテコ入れをしていったそうです。



「1つめは”今やろう”ということ、2つめは、人に任せるのではなく”今のお前らの時代を作っちゃえ!”と訴えました。
それと、具体的な施策としては選手選考ですね。勢いのある若手などの新しい勢力が迫っておらず、何年も同じ選手が代表をやっているという変わり映えしないチームの中で、全く競争が生まれていない状況でした。
そこで、6月に就任してすぐに試合を行い、結果としては2試合1勝1敗だったのですが、いわゆる”サッカー”というのを見せることができたのではないかと思っています。それで一気に選手たちの気持ちをつかむことが出来ました。
またコーチングスタッフを含めて、国内リーグで選手を見てみると、『あれ?こういう選手もいるんだ!』と有力な選手の存在もわかり、
積極的にそういった選手を呼ぶようにしました。」(吉田さん)

勝つために、吉田さんが提唱する3つの”F”というものがあります。  

●3つの”F”とは

1.Fair  公平な選手選考
2.Fresh  若手にチャンスを
3.For the Win  勝つために

勝つためにフェアにフレッシュな次世代のプレーヤーを見て選手を選ぶ、という3つのFをコーチングスタッフと共有しています。
 

若手選手の登用によるチームの変化は?

そうした若手の登用で、頑張ったらどうにかなるかもしれないという思いの活性化や競争が生まれた、
など目に見えてのチームの変化はあったのか、伺いました。

「良くも悪くも小さな国なので、一人一人の選手がどういう経緯でプロ選手になってきたのか、どう育ってきているか、あいつはすごくいい奴だとか、そういう情報がよく知られています。それが、頭から離れていないコーチングスタッフの流れが残っていました。そこで、『それは俺は知らないから』って言って、一回呼んで見てみないと分からないじゃん、と話をして、毎回2人3人と新しい選手を呼んで、少しずつ入れ替わっていくようなサイクルを3~4カ月で作りました。」(吉田さん)

そのようにして様々な選手と接触できる機会を作りつつ、自らもスタジアムに足を運び、パフォーマンスや技術力を見て回ったという吉田さん。”ちゃんと自分の目で見る”ことを大事にし、各チームの練習にも顔を出しながら能力ある選手を発掘していったとのことでした。
 

多国籍なシンガポールでのマネジメント方法とは

シンガポールには、マレー系や中国系など、様々なシンガポール人がいると思いますが、マネージメントして行くにあたり、日本との違いはあるのでしょうか。



「まず、前提条件が違うことです。シンガポールの選手たちは、暑いからとかいろんな言い訳をして、隙あらば自分のエネルギーを節約をしようとします。例えば、カウンターアタックを受けてピンチになって一所懸命に守らなければならないシーンで、『相手にミスしてほしいなあ』とか『なんか大丈夫なんじゃないか』『俺がそこまで行かなくても何とかなるんじゃないか』と思うか、『思いっきりダッシュで戻らないと何が起るかわからない』と思うか、といった差が非常に大きいと思っています。そこの前提条件が違います。また、理由がないとやりません。そこは、日本人が特殊だと思います。例えば、試合の分析でも『これとこれとこれをやって』と言わないと、何も出てこないのです。極端に無駄を嫌いますし、より良くなろうみたいな文化が無いのかなと感じます。それを良い悪いで決めないで、前提条件が違うんだっていうことを僕は理解する必要がありましたし、選手やスタッフと一体感を築く上で、とても大きいことだったんじゃないかなと自分で思います。」(吉田さん)
 

代表チームのサッカー・選手へのアプローチで心がけたこと

そのように気持ちの上での前提条件やそもそもの文化が異なる国での代表監督を務める上で、
チームとしてのサッカー、また選手へのアプローチにおいて心がけたことはなんだったのでしょうか。

吉田さんは、基本的には、選手たちのもっているものを組み合わせて何ができるかに重点を置いていると言います。
例えば、誰と誰を組み合わせるか、誰をどのポジションで使った方がいいのか、それぞれが持っているキャラクターを組み合わせて、配置を決めているとのこと。自分が好きだから、やりやすいからではなく、選手とかキャラクターの組み合わせを大事にしつつ、「攻撃的なサッカーをする」という前提は維持することを心掛けていると吉田さんは語ります。

また選手へのアプローチとして、「お前は、この時どうするんだ?」といった選手自身に判断を委ねるのか、それとも「やっぱりここはこう走るべきだろ?」と明確な指示を飛ばすのか、その質問に対して吉田さんは次のように答えました。

「例えば、クロスのセンターリングからボールを入れるシーンがきたときに、フォワードの選手はできるだけ相手の視野から一回隠れたところから入ってきて欲しいのですが、マークを外すときとか、どんなボールを入れるかとか、こことこことを狙ってほしいとか、希望はあります。それに対して、よりシンプルな指示で、選手が気持ちよく走れるように、フレッシュにそこをめがけて走れるような仕組みが、ようやく見えてきたのかなと自分でも思います。」(吉田さん)
 

「任せるサッカー」に対する思いとは

外国人監督は、成績が出せなければ即解任に繋がるという話もあるわけですが、任せることに怖さはなかったのでしょうか。
選手を信じて”任せるサッカー”を創り続ける吉田さんは次のように語ります。

「昔はありましたね。でも今はまったくないです。任せた方がいいんだなって思います。シンガポール人は、近隣のライバル国と比べるとサッカー自体はとてもオーガナイズされてるんです。組織化されています。ただ勝つために何をするかとか、本能的に何かを目覚めさせて戦っていくことは弱い反面、組織化されている中で任せられて戦っていくことの面白さに選手たちが気づくようになってきていて、任せて良かったと改めて思います。」(吉田さん)

そうしたプレイにおいての”任せるサッカー”を推進していく一方、持っていたボールを相手にとられた、その後の対応を怠ったなどの「ミス」に関しては強く指摘するそうです。また選手の指導においても「そこでやらなかったら終わる」ということは常に伝えているとのこと。ピッチの上では、一瞬たりとも怠けてはならない。代表選手たちがクラブの中で特別な存在でも「ここではそれは許されない」という線引きは、確実に指導する。テクニカルなところは任せつつ、そうしたメリハリのある指導をすることで、意識レベルの高いプレイへと繋がるのだと吉田さんは言います。
 

コロナ禍による変化と影響

飛ぶ鳥を落とす勢いでチームの改革に乗り出した吉田さんですが、コロナ禍による影響や変化はあったのでしょうか。

「コロナになって、去年は活動が全くできませんでした。招集すると連絡して、やっぱり駄目というのが何回もあり、去年は期待を持たせないために代表監督として直接はメッセージを発しませんでした。
今年になってからワールドカップの予選も始まると決まってナショナルチームを集めていいことになり、そこから少しずつ始めました。
また、コロナで変わったのは、パフォーマンスで選手が選べなくなったことです。積み上げてきたものが、一回リセットされた状態になりました。コンディションが上がってきていない選手たちもいますし、選んでもパフォーマンスがうまく出せない選手が増えた1年でした。去年の1年間でかなり落ちてしまったので、これはもう彼らに文句を言っても仕方がないことです。なので、選考ではパフォーマンスではなくて。代表チームに来てから、より強度の高いトレーニングを通じてどれくらい伸びる見込みがあるのか、という目で選手を選びました。」(吉田さん)

なかなか接することのできない状況下の中で、選手のポテンシャルを見抜くためにどのような施策をとられたのでしょうか。
いろんなセンサーを取り付けて、データを取られたのですか?という質問に、吉田さんは下記のように回答しました。

「データもそうですし、数字だけでは言語化できない何かを持ってる選手にも注目しました。例えば、左利きで、他の人が見えていないとこ  
ろが見えていて、そこにスムーズにパスが出せるとか、一年間ほとんどプレイしてないから今は走れないけど元々走れるものがあるのかとか、それならば一回呼んでみて3日間練習させてみて、と手元で見る機会は増えました。
あとは、飛び込んできた選手を信じて、時代の変化に応じて自分も変わらなければいけないと思っています。
自分たちの仕事は、やりたいことをやって結果を受け入れるしかないと思っています。自分が「このサッカーで、このマネジメントで行くんだ」と思ったことを信じてやり続けて、結果を受け入れるっていうのが、そもそもの僕自身の仕事だと思ってます。」(吉田)

日本では得られなかったことが、実感値として感じられていると言いつつ、さらに次のように語ります。


『やっちゃえ』と思ってます。考えて考えて考えて、やっぱやらない、じゃなくて、まずやろう、と。だから、選手にもそれは求めます。
やってみよう、やってみなきゃわかんないじゃん!と。例えば、センターバックディフェンダーやってるけど、ミッドフィールダーでもできると思うんだよね、とか。この選手でこういうことができるんじゃないのとか、そういうものを選手に伝えてます。
逆に常連の選手たちは、ものすごく自信を持っています。なので、彼らも特別じゃないということをいつも示さなければならないと思っています。あとは、新しく来た選手に可能性を伝えてトライさせます。ケツを叩くと言うよりは、励ましています。
『いいからやってみよう、大丈夫だから。あなたは選ばれた選手だよ、僕の責任の下に選んでいるから、やってみてもしダメだったら、”ごめんダメだったやめよう”で全く問題ない』と伝えて、選手の本当の力を引き出せるよう努めています。」(吉田さん)
 

固定概念を打破してのチーム作り

代表チームの組織づくりにあたり、基本的にはチームでやってるポジションで選手を呼びつつ、コンバートして新しいチャレンジをしてもらうことにより、違うモチベーションや違う見方を育てることができると吉田さんは言います。

「選手には『僕が実際そうだから』という言葉をよく言います。外国に来て働いて、でも自分はナショナルチームでのプレー経験はないから選手たちの気持ちはわからないことも多いけど、『僕だったらこの場所に来たら、こうやってやりたかった、こうしたいってあるから、みんなにもできればそうして欲しい』と伝えます。」(吉田さん)

外国人監督という立場だからできたこと、逆に同じ日本人相手だったらどうだったのかという質問に対し、吉田さんは次のように返答しました。

「外国にくると、英語で細かいニュアンスが伝えられない時もたくさんあります。逆にそれがいい時もあるんですよね。余計なこと言わないで済むので、シンプルに伝えられます。シンプルな方がいい場面がたくさんあります。
(そう考えると、日本人相手だとしても)もうなんかできるなって感じがします。今振り返れば、考え無いでいいことを考えすぎてたんだなって思います。日本人でも外国人でも同じなんだと、良い悪いで判断をしなくなりました。おおらかになったなと感じています。」(吉田さん)
 

シンガポールという”おそと”に飛び出して働くこと

サッカー選手としてシンガポール来たこともあり、スポーツディレクターとして外国に行く機会も多々あった吉田さんが、
実際に外人監督として働いてみて、本当に変わったのは「もうちょっと西に行っても良いかな」って思うようになったということでした。
中東だったり、ヨーロッパだったり、日本にいると物理的にもイメージ的にも遠かった国が、外国に一回出たことで一気に近づいた感覚がものすごくあったそうです。吉田さんは、海外で働くということについて、次のように語りました。

「チームを作るっていう仕事は、日本でもシンガポールでも一緒で、国の違いがあるっていうことさえわかれば、あとはまるで変わらないです。日本で何かを成し遂げていても成し遂げてなくても、海を渡ってチャレンジする際の最初の一歩がなかなか踏み出せなかったり、乗り越えられなかったりすると思います。でも来ちゃった人間からすると、さらにもう二歩とか三歩とか向こうに行っちゃえるぐらいの感覚に、すぐなれると思います。来ることで違いが分かって自分をよく知る機会にもなります。日本人の持っている力とか文化のパワーとか、世界から見て日本人っていうのは、みなさんが思っているより認められているっていうことは間違いなく言えるので、僕が変わったように、どんどん海外に出て活躍される方が増えて欲しいなあと、日本人として思ってます。」(吉田さん)


吉田さんにとって”外国で働く外国人になる”ということは、どういうことなのかを問われ、その胸中を熱のこもった言葉で伝えていただきました。

「日本をすごく意識しますね。日本人を代表している感覚を初めて味わいました。僕のやることがすべて日本式だっていう認識になりますし、日本ではこうなんだろうってなります。確かなものを出さなきゃいけない責任があると思っています。シンガポールと日本、どっちがいいとか悪いじゃなくて、いろんな人たちがいる中で、自分たちがどこに向かっているかをはっきりさせて、それぞれに役割や関りを持ってもらい、大事な人なんだということを伝えることを鮮明にやらなきゃいけないのが、外国人監督だと思います。それで絶対に結果を出して行かなきゃいけないのが、外国人が外国でマネジメントするっていうことなんじゃないかなと、毎日思ってます。」(吉田さん)
 

吉田さんが描く目標・ビジョン

最後に、吉田さんのシンガポールサッカー代表としての想いと、ご自身の思い描いていらっしゃることをお話いただき講演の締めくくりとなりました。



「将来的には、育成畑に関わりたいです。選手の育成は、日本サッカーの力にもなります。もちろん、プロや監督になれる選手の数は知れていますが、サッカーを通じて何かいいものが得られるっていうものが確実にあるので、サッカーをしたから、スポーツをしたから、それを通じて豊かになっていく選手の育成に携わりたいです。おそらく日本に帰るので、将来的にはこちらでの経験を活かして育成につなげていきたいと思っています。」(吉田さん)

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