
■海外販路戦略と現地生産
ビングループは、海外展開に将来の可能性を見据えている。まずは、国外の販路として人口が多い米国、インドネシア、インドに照準を定めた。このうち米国には23年3月、第一弾としてベトナムで生産した5人乗り多目的スポーツ車(SUV)の「VF8」を999台輸出。カリフォルニア州の9販売店に45台を引き渡すなどした。北米には、100カ所を超える販売拠点を構える計画だ。
インドネシアには24年3月に市場参入。グループ企業でブオン会長が個人出資するVグリーンを通じてEV充電施設10万基も合わせて設置する。また、インド市場では25年下期の販売開始を目指しており、ともにSUVの「VF6」と「VF7」の右ハンドル車を投入する。販売拠点としては、両国合わせて200~300カ所を想定している。
これら3カ国では現地生産も進める。インドネシアでは西ジャワ州でノックダウン方式による生産を25年中に稼動させる。年産目標は5万台。インドでも南部タミルナードゥ州に同規模のノックダウン式工場の年内生産開始を目指す。一方、米国では28年の稼動開始を目標に南東部ノースカロライナ州で工場建設が進む。年産は15万台の見通しで、これによりベトナム国内と合わせて目標とする年産100万台体制が視野に入る。
ブオン会長が海外展開にこだわるのには理由がある。公にはめったに顔を見せない同会長だが、年次株主総会などで質問に答える姿が近年目立つ。それによると、24年の総会後の記者会見では「儲かるかどうかではなく、ビンファストが世界に通じるEV企業になれるかの重要な瀬戸際だ」と発言。23年時の会見でも「(EV事業を手掛けるのは)ベトナム社会への貢献のためだ。世界のベトナムブランドを築きたい」などと語っている。そこには、苦学苦労して単身事業を成功させてきた矜恃と郷土への愛を感じて止まない。
■巨額負債への懸案
破竹の快進撃にあるビングループだが、一方で懸案もいくつか指摘されている。まずは、多くの出資や貸付を受けていながら、未だ多額の負債を抱えたままのEV事業の行く末だ。グループが開示した24年第3四半期(7~9月)のセグメント別損益によると、未だ稼ぎ頭はここ数年来変わらずの不動産販売と同リース事業。これだけでグループ利益の大半を占めている。反面、EV事業はようやく年間の販売台数が首位に躍り出たばかりで利益とはほど遠い。暫くの間は、巨額の負債に対する元金と利息の返済が重くのしかかる。
とは言うものの、同四半期連結決算ではグループの総売上高は、対前年同期比31%増の約68兆ドンを記録した。純利益も3.5倍となり2兆ドン余りを計上した。増収増益は実に4四半期ぶり。かなりの体質改善が進み、金融収益が回復した効果が大きく寄与した。
EV事業を中心とする自動車事業単体の売上高も約14兆ドンに上り、対前年比の伸び率は67%増だった。経常損益も約2兆ドンの赤字だった前年同期から約5兆ドンの大幅黒字に転じたことは、今後に向けた明るい材料の一つともなっている。
◎ビングループがこれまでに撤退・売却した主な事業
・ビンコマース スーパー・コンビニ事業。約3000店舗を売却。19年撤退。
・ビンプロ 家電量販。18年地場企業から買収。ライバル登場で19年撤退。
・アデロイ 電子商取引。ビンプロから分社化も19年に閉鎖。
・ビンパールエア 航空事業。5兆ドン出資で19年設立するが、翌年撤退。
・ビンスマート 国内初の5Gスマホ事業。18年設立も3年後に撤退。
■不可解な撤退劇
懸案のもう一つが、ブオン会長がこれまで推し進めてきた経営手法に対するものだ。一代で巨大コングロマリットを作り上げた同会長。2000年代初頭の実質的な創業以降、全ての選択と判断は会長の意志一つに委ねられてきた。19年にスーパーとコンビニ事業を展開するビンコマースを同業ライバルのマサングループに売却した際は、新体制下で不採算店が整理され、黒字化と多店舗化が推し進められた。利益もしっかりと上がるようになり、売却を惜しむ声は今なおある。
家電量販のビンプロと電子商取引(EC)のアデロイが撤退を決めた時も同様の状況だった。ビンプロはビンコマースから分社化して設立され、地場デジタル機器販売チェーンを買収。アデロイとのオムニチャンネル体制を採って販路を開拓する予定でいた。ところが、わずか1年半で撤退。詳しい理由は今も分かっていない。航空事業ビンパールエアのケースはもっと不可解だ。パイロット養成学校のビンパール・エア・パイロット学院」を開設して1期生の教育が始まった最中での事業撤退だった。リース予定だった6機の航空機もキャンセルされた。
さらに挙げられるのが、ビングループが鳴り物入りで手掛けたスマートフォン事業だ。事業会社のビンスマートは18年6月に設立。低価格帯の「Vスマート・ジョイ」や「Vスマート・ライブ」を相次いで発売して、一時は国内スマホ市場3位をうかがうまでとなった。このうち、機種「ライブ4」は設計から製造までの全工程を初めて自社内で完結し話題となった。
20年10月には中価格帯の新機種「アリス」を開発。国内初となる5G対応端末として販売を開始した。同機種は米クアルコム製のチップを採用。読み出しメモリが当時としては最高の8GB。ランダムアクセス可能なROMも128GBと申し分ない性能だった。カメラも最大6400万画素のデュアルレンズを採用し、Apple社のiPhoneにも性能で十分対抗可能だった。ところが巨額の設備投資負担などから21年には撤退を決めている。
こうした相次ぐ撤退劇に、市場の一部からは冷めた声がなおも聞かれている。満を持して米国でのEV生産を開始しようとするビンファストが、タイミングを見計らって売却するのではないかという見方だ。これに対し、ブオン会長は24年5月の年次株主総会で尋ねられ、「ビンファストは絶対に手放さない」と明快に否定している。それでも市場の疑心暗鬼がなくならないのは、かつての不可解な撤退劇が相次いだためでもある。
■政府との立ち位置
さらに、ビングループをめぐる懸案として存在するのが政府との関係性。すなわち権力との間での特種な立ち位置が求められる点だ。ベトナムは、自ずと知れた社会主義国家。全ての開発や事業活動は政府の認可の下で行われる。反面、裏を返せば事業推進は原則として政府の側に立つことであり、自由で独立した企業活動からはある意味では対極に置かれることになる。
例えば、傘下企業の一つ「ベトナム展示見本市センター」では事実上、政府の中長期計画に沿った形で展示会場の建設や運営が行われている。資本の論理に沿った真の意味でのライバル企業は存在せず、ビングループとしても政府の意向を受けて地元人民委員会に開発を申請。事後の手続きは形式上に他ならず、一私企業としての特性や判断を出しにくいのが現状だ。
ハノイ市バディン区の6万8000平方メートルの土地で進める展示会場開発でも同様のことが言えるだろう。商業・サービス・オフィス用途に利用できるのは4万平方メートル余り。残りのうち、9000平方メートルは学校施設に、1万9000平方メートルは緑地や道路に充てるという計画は事前の政府方針からのコピー&ペーストだ。ハノイ市ドンアイン郡の90万平方メートルの巨大用地で進む国際展示見本市センターの建設でも同様の展開となっている。
ビングループは、24年末にホーチミン市で開業し話題を集めたベトナム初の地下鉄の延伸工事にも参加表明しているが、ここにも政府の強い意向が見え隠れする。同社が関与するのは市中心部とカンゾー郡を結ぶ路線の調査。ソライラップ川をまたぐ区間で、地元市人民委員会は25年4月の着工、28年の完成を予定する。この計画をめぐっても政府の意向が強く反映されている。ベトナム共産党序列第3位のファム・ミン・チン首相がブオン会長に直々に事業への参画を要請。ビングループが後に市人民委員会に提出した許可申請には、延伸工事は鉄道の輸送能力向上と交通需要のニーズに応えようという市の方針とも一致するものなので申請したとの記載があり、奇妙な感覚は拭えないままだ。
■ブオン会長が目指すもの
24年6月、ブオン会長は米ブルームバーグ通信の取材を受けていた。インタビュアーが繰り返す質問の大半は、同会長がビンファストに向けて続ける私財投入がいつまで行われるかという点に向けられていた。その時点で、投じられた個人資産は報じられていただけでもすでに20億ドルを超えていた。懐疑的な声はあちこちから聞かれていた。
インタビュアーの質問の背後に「米国で独自ブランドを確立させることは困難だ」との思いがあったことは明らかだ。米国にはEVの先駆けであるテスラ自動車があり、競合するBYDなど中国勢力がこれまでにない安価な価格で猛攻を仕掛けてくることも自明の理であった。だが、ブオン会長は閉じていた目を静かに開けて力強く言い放った。「私の資金が尽きるまでだ」と。
ブオン会長が目指すものとは何だろう。そう深く考えさせた一言だった。遥か遠いウクライナの地で前身となる食品企業を興してから30年余。文字通り粉骨砕身築き上げた結果がビングループだった。23年8月に米株式市場に上場した株価も当初は2週間で700%も上昇したが、その後は95%も下げる一幕もあった。未だ安定的とは言い難い局面にある。ところが、「株価水準は気にしない」と同会長。発言の一言一言に、覚悟を決めた者の矜恃と自信が感じられた。