中小零細企業の挑戦をカタチにする展示会出展 | ピリピリ 東南アジア進出をサポート!
Thailand タイ

中小零細企業の挑戦をカタチにする展示会出展

日本国内はもとより世界各地で開催されている国際見本市(展示会)。業種はさまざまで、古くからある自動車や機械、電機などといった重工業分野に止まらず、近年は食品、医療・健康、環境など内容も多彩。変わったところでは防犯、ペットなどといったものもある。ところが、こうした場への出展は大企業や専門の事業者のものといった考え方がなお根強く、地方にある中小零細企業などの進出が進んでいない現状もある。中小零細企業の挑戦をカタチにする展示会出展とは。太平洋に浮かぶ八丈島のとある事業者のケースをもとに考察する。
 

「第23回 Food & Hotel Thailand 2015」に出展

2015年9月初め、伊豆諸島・八丈島にある東京諸島本格焼酎専門店「山田屋」の山田達人さんは、タイ・バンコク東郊のイベント施設BITECにいた。同月2日から4日間の日程で開催される食の展示会「第23回 Food & Hotel Thailand 2015」に出展するためだった。日本の全国商工会連合会が用意したパビリオンにブースを構えた。八丈島のほか、新島、青ヶ島、小笠原諸島など太平洋に浮かぶ島々で造られた焼酎やスピリッツなどを広く知ってもらうためだった。
実は、山田さんのタイ初訪問はその2年前にさかのぼる。経済産業省中小企業庁の産業支援事業に応募し、バンコクを視察に訪れたのが始まりだ。10年以上も前のことを山田さんは今も鮮やかに覚えている。「島酒の生産者は高齢化も進み、販路も縮小している。海外市場を開拓しなければならないことは頭では分かっていたが、それまで全く動けなかった。思い切って飛び込んだ
かつての流刑地、囚人の島。琉球(沖縄)や南九州を経て黒潮に乗り、焼酎文化が伝わったらしいことは多くの研究者が指摘している。琉球・泡盛の源流は、16世紀に生まれたとされるシャム(現タイ)のラオカオ(タイ米で造った蒸留酎)とする見解も根強い。八丈など島の人々は、自分たちが造った島酒を飲み、島の料理を食し、郷土に伝わる八丈太鼓を奏でるなどして歌った。山田さんは、そのことを焼酎の故郷であるタイの人たち、ひいては世界の人たちにも知ってもらいたいと考えた。
 

海外には市場があり、可能性がある

初めての視察は、移動日も含めわずか6日しかなかった。だが、この間にバンコクの飲食店で3度ものお披露目をすることができた。目を丸くし、食い入るように太鼓演奏を見つめるタイ人客。初めて味わう島酒を「アオイ、アロイ(とても美味しい)」と言って、おかわりを求める女性客。「海外には市場があり、可能性があると感じた」と山田さん。それから数次にわたるタイとの行き来の始まりだった。
Food & Hotel Thailand 2015には、世界26カ国から1000以上のブランドが出展。食品、食材、食品加工のメーカーや卸のほか、設備、ホテルサービス、ホスピタリティーの事業者ら400人近い出展者が顔をそろえた。また、56カ国からバイヤーや75の専門家グループなど計約3万人が来場。日本、中国、韓国、南アフリカの4つのパビリオンも開設された。
日本パビリオンにいた山田さんは、ここで精力的に島酒の紹介に努める。手製のパンフレットを持ち込み、訪れたタイ人来場者に通訳を介して島酒の魅力と島の歴史を訴えた。初めてタイの大地を踏んでから2年。少しずつだが、島酒や八丈太鼓など自分たちの文化が世界に広がっているのを実感した。


島本格焼酎専門店「山田屋」の山田達人様


島酒生産者を伴っての〝お国帰り〟

 それから2カ月後、山田さんの姿は再びタイ・バンコクにあった。今度は展示会の出展ではなく、島酒の生産者を伴っての〝お国帰り〟だった。自治体としては人口最小、東京都青ヶ島村を形成する青ヶ島で「青酎」を生産する青ヶ島酒造の荒井清さん(2022年12月逝去)と、新島で新島酒蒸留所を経営しサツマイモを使った「嶋自慢」を生産する宮原淳さん。タイの社会と消費者の反応、市場の可能性を自身の目で見てもらうため、山田さんが企画した訪問だった。
 ここで荒井さんや宮原さんは、現地の飲食店やタイ人客、さらには大衆食堂にいた一般の人たちと交流する。自らタイ料理を食べ、タイ米を食し、どの料理にどの島酒が合うかなど感想も語り合った。興味を持って近づいてくるタイ人消費者らには、持ち寄った焼酎の試飲も勧めた。展示会出展などから始まった山田さんたちの試みは、確実にタイの社会に広がっていった。
 荒井さんや宮原さんにとっては、仕込みの忙しい時期の合間を縫っての渡航だった。1日飛行機が遅れれば、影響が出かねないタイトな日程。そうした中で二人は山田さんに対しこう語ったという。「いろいろと言われるかもしれないが、君がやっていることは間違っていない。島酒を大切に思い、世界に広げようとしている」。時にピエロとなり、普及活動を続ける山田さんを揶揄する心ない投稿がネットなどでは散見されていた。この時の声がけが山田さんにとってどれほど励みになったことか。


島酒はバンコクの飲食店でも取り扱われるようになった。
 

小さな島からでも挑戦はできる

山田さんは今、八丈島で小売卸の店を経営しながら、都内で開かれるイベントなどに積極的に参加を続けている。新型コロナの影響でしばらく遠ざかっていた海外との交流も、昨年11月に5年ぶりに再開した。今後もアプローチを続けていく意向だ。
国や東京都の支援事業、さらには国際展示会への出展を通じて山田さんは「多くのものを得た」と振り返る。それはひとへに、市場動向の把握であり、人脈作りであり、先行者利益の確保であると指摘する。「海外市場を見ることは大いに価値があり、その後の事業展開に役に立つ」と断言する。
それは、現在の日本を取り巻く状況からも説明できると説く。少子高齢化で市場が縮小し、後継者不足の日本。「海外で得た知識やノウハウを日本国内にフィードバックし、マーケティングにも活用できる」と。また、外国人旅行者が増えインバウンドの盛んな日本。まずは自身が海外にアウトバウンドし、それをインバウンドにつなげることも可能だと解説する。
伊豆諸島・八丈島。小さな小さな島にある小さな小さな酒類小売卸の「山田屋」は、山田さんの亡父がちょうど70年前に興したものだ。祖父は合併前の旧三根村の村長を務めた。根っからの八丈生まれの八丈っ子。「このような小さな島からでも挑戦はできる。原動力は妻と子どもたち家族からの応援。展示会出展はそのためのツールだ」と山田さんは話す。




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記事制作:小堀晋一(こぼり・しんいち)
2011年11月、タイ・バンコクに意を決して単身渡った元新聞記者。東京新聞(中日新聞東京本社)、テレビ朝日で社会部に所属。一連の銀行破綻時件やオウム真理教事件、阪神淡路大震災の取材などに従事した。現在はフリーランスとして、日本の新聞、雑誌、タイのフリーペーパーなどで執筆。講演多数。
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