衛星が収集した地表のデータや実際の地上データをAIで解析し、農業分野へ応用することで農業のさまざまな課題解決を目指すスタートアップ・「
サグリ株式会社」(以下「サグリ」)。2019年にインドへ進出し、翌年には日本貿易振興機構(JETRO)が公募によりタイのコメ農地情報のデータ基盤事業に関する実証実験に参加するなど、迅速に成果を出しながら積極的な海外展開を進めています。海外事業推進のキーマンであるサグリ インド法人、Sagri Bengaluru Private Limitedの最高戦略責任者である永田賢(さとし)氏に、特にアジアにおけるビジネス展開のポイントや難しさを聞いてきました。
衛星データ×AIテクノロジーを農業分野に応用した気鋭のスタートアップ
— 永田さんはアグリテック(AgriTech:農業分野のITイノベーション)のスタートアップであるサグリのインド法人責任者ということですが、改めて会社の事業内容について教えてください。
永田さん:
当社は
衛星データと機械学習技術を農業分野に応用して農業課題の解決に取り組むスタートアップです。衛星データをそのままの形で事業や農業に活用することは難しいのですが、サグリでは独自のAI技術により、衛星が映し出した地上の状態を解析して農地の状況を予測する仕組みを開発しました。
さらに、AIの解析に基づき緯度と経度を指定すれば農地区画を自動的に引くAIポリゴンの技術も開発しています。これは特許を取得しており、当社のコアテクノロジーの1つになっています。
Sagri Bengaluru Private Limited 最高戦略責任者 永田 賢さん
— インドではどのような事業を展開しているのでしょうか。
永田さん:
まず1つに、衛星データとAIで解析した農地情報のデータ基盤を開発し、農地の区画面積や収穫量を予測して、そのデータを、農家向けマイクロファイナンス事業者に販売しています。インドは農地面積が約1億5000万ヘクタール、人口の50%が農業従事者という農業大国なのですが、農家1軒当たりの収穫量はなかなか増えず、借金に苦しむ農家が多いという課題を抱えています。お金がないから種苗が買えず、収入が減少して融資も受けられず、自死を選ぶ人も少なくありません。
データ基盤を整備することで、これまで紙や記憶で管理していた収穫量の推移の確認や予測も行えるようになりますし、気候データを解析して天災や気候変動のリスクなども解析できます。データ基盤で収穫量の予測やリスク対応ができれば、マイクロファイナンスの融資も通りやすくなりますし、農家の方はデータに基づいた農業ができるようになります。
最近は土壌表面から排出される窒素や炭素、pHなどを分析し、限られた肥料を有効活用して効率的に収穫高を増やすような指導も行っています。これは現地の農協のような組合を対象にしており、マイクロファイナンス向けのデータ提供と農協向けデータ提供、この2つの事業で黒字化が見えつつある状況です。
インドのやり方はタイでは通用しない! タイ進出の足がかりに選んだのは……
— 2020年10月にJETROの事業公募に応募され、サグリの「衛星データを活用したタイ王国向けコメ農地情報のデジタル基盤構築に係る実証事業」が採択されました。これに応募した経緯を教えてください。
永田さん:
インドでの事業が少しずつ見えてきたので、これを横展開する時に最も可能性を感じたのがタイでした。タイでは国家戦略として「タイランド4.0」を掲げており、農業データ基盤を作りたいと思いながら、なかなかそれが進んでいないという状態だと聞いていたんです。その理由は、農家はもちろん政府内ですらスマート農業に関する理解が深まっておらず、マンパワーも資金もなかったからです。当社としても、その課題に対する実証実験という形で参加しながらタイでの事業の可能性を見きわめたいと考え、応募しました。
— 実証実験ではどのようなことに取り組んだのでしょうか。
永田さん:
まずはタイの農地を正確に区画化し、タイの農家やパートナーである農業協同組合省の方から高い評価をいただきました。これらの実績をフックに、現地大学であるカセサート大学 農学部土壌研究科と共同研究を進め、当社の土壌分析のデータと彼らの持つリアルデータを掛け合わせてタイのモデルを作っていくという方向でサービスのローカライズを図っていこうとしています。
タイにはタイのビジネスカルチャーや、やり方があるので、インドのように私たちが直接農家や農協とやり取りするのではなく、現地の人を中心に交渉していったほうが良いと実感しています。タイでは共同研究機関や現地のパートナーを表に出しながらサグリのテクノロジーを活用していただくという形を取ることになると思います。
また脱炭素の実証実験も2023年の1月に完了する予定で、実施後にはこの分野にも注力していく方針です。
進まない事業、ビジネスルールやモラルの違い……それでも大きなやりがいがある
— いまおっしゃったように、国が異なればカルチャーやルールはまったく異なります。タイやインドでビジネスを展開するうえで、どのような課題がありましたか?
永田さん:
これはタイ一般の話ではなく、私が関わったなかでの話になりますが、受け身の方が多くてなかなか物事が進められないことがありました。「まず実践してみよう」と鼓舞してもすぐに動いてくれなかったんです。
また、タイランド4.0のような大きな戦略は打ち出しているのですが、具体的に何を目指していくのかが見えにくいことも問題でした。たとえば「農業のスマート化」といっても具体像や定義がなかったので、サグリのAIポリゴンの実例を見ていただいても、従来と比べて何が良いのかすぐにはご理解いただけなかったんです。
— そこをどう乗り越えたのでしょうか。
永田さん:
心が折れたら負けなので、あまり考えずにしつこいぐらいにコミュニケーションを取りました。議論を進めるにしても、英語が共通語とは言い切れない状況だったので、タイ語がわかる方にニュアンスを含めてうまく伝えてもらえるようにお願いしたり、手を変え品を変えでコミュニケーションを取りました。
政府や関係者などの動きが遅い点に関しては、間に入っている日本大使館やJICA(国際協力機構)などとも連絡を取りながら動いてもらうように説得しました。ただ農家さんに関しては、スマート農業によるメリットや利益についてご理解いただき、共感を得られたので非常に良かったと思います。とにかく成果を出すことが大切ということで、根気良くコミュニケーションや議論を重ね、目に見える実績を積み上げて動き出すことができました。
— インドではどのようなカルチャーギャップがありましたか?
永田さん:
利用者を広げるためにはパートナーが必須ですが、
正しいパートナーにたどり着くことに苦労しました。いろいろアタックしたのですが、95%は徒労に終わりましたね。インドではフィンテックやEコマース、ヘルスケア分野のITが人気で、アグリテックはあまり注目されていないんです。
そのせいばかりではないと思いますが、勝手に技術を盗用することに抵抗感のない事業者だったり、提案してくる
内容も
片務的な関係性になり
がちで、あまりいいパートナーと出会えなかったんです。インドと日本ではベースのビジネスプロトコルやマナーも異なるのでしょうが、とにかく打席に立ちまくって、いいパートナーに出会うために積極的に行動していましたね。
— そういう苦労のなかで、どのような点にやりがいを感じられますか。
永田さん:
全部自分の責任で
「ゼロから1を生み出す仕事」に従事できているのは、やはり大きなやりがいです。それはつまり、新しい事業に新しい価値を吹き込んでスタンダードにしていくということです。それこそが私のモチベーションです。これまでの経験や学んできたことを基盤に脳細胞をフル回転して、毎日非常に充実した日々を過ごしています。
うまくいかない会社員生活、海外でのビジネスチャンス拡大に向け選んだインド
— 永田さんはどのような経緯でサグリに入社したのですか?
永田さん:
もともと海外志望で、新卒では保険会社に入社したんです。しかしその会社は保険代理店の開拓を重視しており、海外に行く人はほんのわずか。仕事の内容も大学で学んだことは一切関係ありませんでした。
そこで転職し、コンサルティング企業や実家の事業に従事するなど職を転々としましたが、最後に実家事業の計画が頓挫して新たな職探しをしなくてはならなくなったんです。
そこで、もともとあった海外に目を向けることにしました。市場規模が大きくて優秀な人材が集まっており、かつ日本人の少ない国でビジネスチャンスを掴もうと南アジアを中心に転職活動を展開したんです。そしてベトナムの企業とインドにある日系物流会社から内定をいただいたのですが、いま話したような観点から最終的にインドを選びました。
その後インドと日本のスタートアップ企業を結びつけるNPOを立ち上げ、その時にサグリの代表取締役CEOである坪井俊輔と出会い、その仕事のやり方や理念に共感して入社することになったんです。
— どのような点に共感したのでしょうか。
永田さん:
坪井と知り合ったのは2019年1月のことでした。まず目を引いたのは、
即断即決、有言実行でスピーディーに事業を進めていく姿勢です。「インドで事業をやりたいから現地法人を立ち上げる」という話をもらって私が同年4月に入社し、その5カ月後にはサグリのインド現地法人が立ち上がりました。当時NPOの関係でいろいろな日本のスタートアップを見ていたのですが、「検討中」ばかりでなかなか物事を進めようとしない企業が多いなか、意思をしっかり持って事業を前にスピーディーに進めていく姿勢に共感しましたね。
社会課題解決のビジョンと農家支援の両立を目指す
— 今後はアフリカや南米市場への進出も視野に入れているということで、永田さんも世界を飛び回っていると伺っています。アグリテックに関し、世界の需要状況や期待値はやはり大きいのでしょうか。
永田さん:
地域が変わればやり方やルールも変わるので、また新たにパートナーを開拓しなければなりませんが、私たちが入り込む余地はまだあると考えています。
グローバルから見たスマート農業に対する需要や期待は“半々”だと思っています。先進国では食糧安全保障や環境対策などさまざまな観点からその重要性を理解していますが、新興国は必ずしもそうではありません。新興国は概して人口が多く人件費が安いので、人海戦術でやっていけば何とかなるという考えがあると思います。農家の現場も、データで管理して最適化していくよりは「この肥料を使えばいい」など簡単な選択肢を選ぶ傾向があると感じます。
個人的な感覚ですが、農業はやはりその地域の環境や土壌に基づくまさに“土着”のものでなので、現在生き残っている農業はその地域で最適化された素晴らしいものだと思います。とはいえ、世界の農業に課題があるのも確かです。たとえばタイでは農業就労者の高齢化が進み、平均年齢が42歳となっています。いまはまだ高齢化問題はそれほど顕在化していませんが、農業の担い手も減少傾向にありますし、テクノロジーを使って省力化せざるを得なくなる時代が来るでしょう。
また人口爆発の問題もあります。インドの人口が14億人目前、アフリカの人口も現在12億人超えで数十年後には20億人超になるといわれているなか、食糧をすべての人間に再配分していくにはやはり生産性向上が必須です。
そうしたさまざまな問題があるなか、
アグリテックやスマート農業を先進国の押し付けにしてはいけないと感じています。たとえば「農家の所得向上」など、農家にとってのプラス効果や喜ばれるメリットを伝えつつ、社会課題解決というビジョンに向けて事業を拡大していきたいと考えています。