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遠隔医療2.0を推し進めるタイDX

遠隔医療(telemedicine)――。それは山間部や僻地など遠方に居ながらにして、専門医の治療・診断が受けられる医療サービス。冷戦最中の米国で軍事・航空宇宙研究をきっかけに始まった新しい医療のあり方だ。後に医療ツーリズムが盛んとなるタイへも伝わるものの、当初は音声通話やテレビシステムといった対面に代わる通信手段として主に精神治療の場面で利用されていたに過ぎなかった(遠隔医療1.0)。だが、その後の情報通信技術の発達によって電子カルテとの結合やリアルタイムでの遠隔監視などが可能となると高度に発展。政府も主要施策の一つと見直すようになった。高齢化が著しく、今なお人口の半数近くが農村部に居住するというタイ。新しい技術の導入を社会全体が心待ちにしている。 
 

■400キロも離れた病院を結ぶ 

首都バンコクから北北西に720キロ。ミャンマーと国境を接するメーホンソン県メーサリアン郡に、1934年に設立されたこの地域の拠点病院メーサリアン病院がある。この病院の外来棟4階会議室で今年8月26日、遠隔医療をめぐるとある会合が開かれた。はるばる訪れたのは400キロも離れたターク県ウムパーン郡にあるウムパーン病院の医師や看護師たち。オンライン遠隔医療システムを採用した際の患者ケアなどが話し合われた。 

メーサリアン病院とウムパーン病院はともに山岳地帯を流れる川に沿った猫の額ほどの土地にあり、両地点の移動には車で7時間もかかる。かつてはウムパーン病院管内で緊急の患者が発生すると、数百キロも離れた周囲の拠点病院から専門医が駆けつけるまで何時間も待たねばならなかった。反対に患者を医療体制の整った病院に搬送しようと試みても、S字カーブが連続する山道での走行はそれだけ患者の容体を悪化させるリスクが伴った。 
 

■対面依存を極力減らす 

こういった現状をDXの力を使って改善していこうという政府の取り組みが「遠隔医療2.0」だ。医療プロセスを合理化し、医療サービスの提供をスピード化。最新の技術で血圧、血中糖度、呼吸状態、心拍数などのデータを常時把握し、適切な処置を行っていく。患者の体力を落とす移動の必要性を極力なくし、利便性と満足度を向上させる。対面依存を極力減らすことを目的としている。 

遠隔医療2.0の導入は、新型コロナウイルスの蔓延とともに加速した。医師や看護師が患者を直接診断したくても、国によって行動が著しく制限された時期。そんな時に一気に進んだのがDX技術を使った医療の革新だった。 

政府はメーサリアン病院を遠隔医療の重要拠点病院の一つに指定。専門医が比較的多く常勤する同病院に先端デジタル機器を配置し、運用を開始した。現在の病院長であるバンデット・ドゥアンディー博士が着任する21年以降それは特に速度を速めた。同病院では人工衛星によるライブ通信システムを採用している。 
 

■「医療を遠隔地に届けよう」プロジェクト 

もう一つ、政府が遠隔医療2.0を推し進める総合病院が南部クラビ県アーウルック郡にある。パンガー湾・アンダマン海に面する風光明媚なその場所にあるのが、公立アーウルック病院だ。同病院は1982年にわずか10床で開業。現在は60床、スタッフも200人近いこの地域の拠点病院だ。 

この地方で今、取り組みが行われているのが「医療を遠隔地に届けよう」プロジェクト。タイ南部には国民の大多数が信仰する仏教ではなく、イスラム教を信仰する人々が集中して居住する。そういったコミュニティーは仏教徒らが住む都市部から離れた場所で暮らすことが珍しくなく、交通機関に恵まれていないことも少なくない。 

プロジェクトは、こうした辺鄙な地域で暮らす人々の医療向上を目的として始まった。アーウルック病院長のティーラワット・サクルマノン博士自らが看護師らとともにイスラム教の施設であるモスクを訪ね、遠隔医療の有益性を訴えている。国営通信会社と連携して、インターネット網の整備やアクセス向上も図っている。 
 

■病院の8割が都市部に集中 

世界銀行グループによると、タイの国民1人当たりの年間の医療費は2019年時点で約296米ドル。総人口は内務省の22年データで約6600万人だから、医療市場の総額は200億ドル程度と見積もられている。東南アジアではシンガポール、マレーシアに次ぐ規模だ。 

ところが、その7割を公立病院での利用が占め、民間病院は3割しかない。また、病院の8割がバンコクや大規模県など都市部に集中していて、山間部や離島などの地方では満足な医療とはほど遠いのが実情だ。長い待ち時間、非効率なシステム、医療データの非連携、官僚主義的な医療のあり方が課題として今なお多く残っている。 

医療従事者の不足も深刻だ。タイでは医療に対する需要が高まっているにもかかわらず、仕事のきつい医者や看護師を志す人はせいぜい横ばい程度。救急外来などの現場で慢性的な人手不足が続いている。特に僻地での医療において顕著で、せっかく医師免許を取得しても医療ツーリズムなど高額報酬が得られる都市部での勤務を希望する人が後を絶たないでいる。 

さらにタイでは高齢化が進み、現在は15%に過ぎない65歳以上の人口割合が、40年には26.2%、50年には29.6%に達すると予測されている。慢性疾患も多く、成人タイ人の4人に1人が高血圧と診断されている。肥満や糖尿病など継続的な経過観察が必要な人も少なくなく、糖尿病患者は実に世界第7位。医療のデジタル化は待ったなしの状況だ。 
 

■インフラの整備 

他方で、遠隔医療が浸透しやすい側面もある。タイには現在、医療用のスマートフォンアプリが複数存在しており、多くの人が自分の健康状態を把握するためにアクセスしている。また、病院では電子カルテの利用が広がっており、都市部ではすでに一般的になりつつある。 

加えて有益に作用することが確実なのが、スマート腕時計などウェアラブル・デバイスの普及だ。手首に巻き付けるだけで健康データを取得するそれは、若者を中心に利用が広がっている。人工知能(AI)やアルゴリズムを使った大量データの解析も当たり前に行われており、こういった環境が遠隔医療の裾野を広げていくものとみられている。コロナ禍を通じ、医薬品のオンライン販売チャンネルも拡大した。 

IoT(モノのインターネット)やクラウド・コンピューティング・サービスといったデジタル面でのインフラも整備され始めている。大手IT企業などがタイにデータセンターの開設も始めており、遠隔医療がこれらのサービスと接続可能な基盤も整いつつある。 


遠隔医療を推し進めるメーホンソン県のメーサリアン病院では今年8月、遠方の病院関係者を招いて運用のあり方をめぐる会合を開いた。(同病院提供) 
 

■民間病院の取り組み 

こうした環境整備を受けて、民間の医療機関でも遠隔医療への取り組みが始まっている。バンコク病院やサミティヴェート病院などを傘下に収めるタイの大手私立病院グループ「バンコク・ドゥシット・メディカル・サービシーズ」では、バンコク、東部パタヤ、西部ホアヒン、南部プーケットのグループ内の少なくとも4病院で遠隔医療の導入をスタートさせている。 

米国製のロボット医療システムを採用。脳血管疾患(脳卒中)など緊急性の高い治療で運用を行っている。現在は脳神経外科などの限られた分野での活用が中心だというが、今後は慢性疾患など広範囲に採り入れていくとしている。このような動きは、他の民間病院でも広がっていくものとみられている。 
 

■遠隔医療がもたらすもの 

政府は遠隔医療の導入による効用として、僻地居住者への医療機会の提供、医療コストの削減、患者の利便性の向上と移動時のストレス軽減の3点を主に挙げる。今後人口が減り、少子高齢化が顕著となるタイ社会では避けられない課題として位置付けている。 

このため、現在の遠隔医療2.0に加え、保健省が所管する「eヘルス戦略」や19年にスタートさせたデジタル経済社会省の「デジタルヘルス認証プログラム」などさまざまな施策や取り組みとも相互に統合・関連付けながら推進させる計画だ。民間の試算ではタイの遠隔医療市場は、すでに1億ドルを超えたとの報告もある。東南アジア随一の遠隔医療大国として育てていきたい意向だ。 



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