インターネット経由でソフトウエアを提供する「SaaS(Software as a Service)」市場は、ASEAN諸国でも広がりつつあります。マレーシアでは、日本のデジタル庁にあたる政府機関がIT系スタートアップ向けに起業家ビザを発行するなどの後押しを行い、資金調達やエコシステムが実現しやすい仕組みが形成されています。
本記事では、商社在籍中にクアラルンプールに赴任して拠点や新規事業の立ち上げなどを手がけ、その後自ら創業した
NEOLIZE代表の鈴木健吾さんに取材した内容を
前回に続いて紹介します。現地での事業展開や在住経験を通じて見えてきたマレーシアのSaaS事情をはじめ、課題や展望、成功しているスタートアップ企業、日本企業が進出する際のアドバイスなどを語っていただきます。
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<鈴木健吾氏プロフィール>
合同会社NEOLIZE代表
最先端の技術を取り扱う専門商社のマクニカ社にて、シリコンバレーやイスラエルのスタートアップとの協業を軸にした新規事業開発や投資業務に関わる。その後マレーシアに代表役員として駐在し、プロダクト拡販や新規事業の立ち上げなどを手がけた。2019年に合同会社NEOLIZEを創業、現地ネットワークを活用して日本の中小企業やベンチャー企業のマレーシア・ASEAN進出支援などに携わっている。
(NEOLIZE公式サイト:
https://neolize.biz/)
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エンタープライズ向けSaaS市場は年平均25%増で成長
―マレーシアのSaaS市場規模や、どのような分野が伸びているのか教えてください。
鈴木さん:
さまざまな分野を合わせると、SaaSの市場規模は現在約700億円程度です。MAツールなどは現地でも広く浸透していますが、主なクライアントは航空会社やインターネットサービスプロバイダーなど大規模な企業で、米国や中国の大手が提供するものが使われています。
こういった
大手エンタープライズ向けプロダクトがSaaS市場をけん引しており、年平均で25%増程度の成長率となっています。2025年には1,000億円程度までいくと見込まれていますが、日本のSaaS市場と比べると規模はまだ10分の1程度です。
スタートアップのSaaSモデルも増えていて、ヘルステックやHRテックなどに注目が集まっています。ヘルステックは日本と考え方が似ており、コロナの影響もあって、従業員の福利厚生の一部として健康管理ができるデジタルソリューションが目立ちます。
HR分野では、従業員のパフォーマンスを最大化できるように人事管理業務を自動化するものや、従業員のQOL(生活の質)を上げていくという分野が注目されています。こういったヘルス系やHR系のプロダクトについては、企業が資金を投資したり、それを狙ったスタートアップが登場したりという動きが見られます。
ただ、現状ではどの分野が特に強いということはなく、幅広い分野のスタートアップが登場しているといったイメージです。
―現地で実績を出しているSaaS系スタートアップ企業を挙げてください。
鈴木さん:
ヘルステック分野では「
NALURI(ナルリ)」というかなり名前を知られたSaaS企業があります。創業者が元エアアジアのマーケティング担当者で、ファンドのパフォーマンス評価も順調です。従業員のヘルスケアにつながったり、BtoCの形で個人のパーソナライズ健康管理ができたりするソリューションを提供しています。
HRテックについては「
BRIOHR(ブリオエイチアール)」という、シリコンバレーに拠点を持つアクセラレーターのYコンビネータが出資するSaaS企業が注目されています。勤怠管理も含めて従業員の人事評価を行い、パフォーマンスの可視化や最大化につなげるサービスです。
リテールテック分野の「
Dropee(ドロピー)」というSaaS企業は、パパママショップなどの中小店舗が紙で行っていたようなBtoBにおける受発注をデジタル化できるプラットフォームを提供。ここもYコンビネータからの出資を受けています。
https://www.dropee.com/
SaaS系の代表的な現地スタートアップの特徴としては、欧米の有名企業に勤務していたり、欧米の有名大学に留学してアントレプレナー思考を学んだりした人たちが、自国に戻って事業を立ち上げたという点です。政府の施策もあって、彼らが創業した事業は比較的投資家とマッチングしやすかったり、投資を受けやすかったり、マーケットアクセスがしやすかったりします。
現地で成功している海外企業を挙げるとすれば、上位層ではビッグネームの
Alibaba Cloud(アリババクラウド)やHub Spot(ハブスポット)といったところでしょう。中でもアリババクラウドは、同じ中国系大手財閥のサンウェイグループなどとコネクションもあって有利といえます。中間層のプレイヤーについては、これといった企業はまだ見当たらず、今後期待したいところです。下位層には日本からの進出組も含めてスタートアップがたくさんいますが、まだ小粒で未成熟な企業が多いのが現状です。
―現地で目立っている日本のSaaS企業はありますか。
鈴木さん:
MTEPビザを取得して事業展開している日本企業としては、小口融資などを行うマイクロファイナンス系や、妊活など女性のライフステージにおける課題を解決するフェムテック系、そして流通系といった3社が挙げられます。
MTEPビザを活用していなくても、現地法人の拠点を設けて展開している日本企業もあります。例えばロボット系テクノロジーを手がける「
CYBERDYNE(サイバーダイン)」は、動作や筋肉を補助するために介護職員が施設で着用するロボットスーツを現地法人と提携して展開。また、子どもの才能をAIが分析・可視化する教育テックを手がける「
TOY EIGHT(トイエイト)」は、「ZOZOTOWN」を運営するZOZOの創業者である前澤友作氏のファンドが出資するSaaS企業です。
成功のカギはエコシステムビルダーや現地パートナーとの連携
―日本企業がマレーシアで成功できるヒントがあれば教えてください。
鈴木さん:
日本企業が成功するカギとしては、マレーシアという市場をどうとらえるかが重要になります。人口は約3,000万人と市場規模は小さいものの、民族が中国系、インド系、マレー系とバランスよく分かれているため、
各市場に向けてスモールスタートやトライアルすることに向いています。
中国やインドなどの大国にいきなり進出するのはリスクが大きいため、インドであればまずマレーシアのインドコミュニティを狙って展開するなどして仮説検証を進めれば、定性的にも定量的にも得られるものがあります。中国系やマレー系についても同じように試し、その先の出口を探すというような施策です。進出を狙う国の一段階前の市場として、出口を想定して回していくという形で活用するには、とても相性がよい市場といえます。
政府はスタートアップがMDECやMRANTIをはじめとするエコシステムビルダーや、現地で実績があって結果を出せそうな企業と一緒に展開していくことを想定しています。そのため、起業家ビザの「MTEP」を取得するとか、こういった機関や企業と進めていくことができれば、マレーシアは事業立ち上げがしやすいはずです。
また最近は、日本企業が現地スタートアップに出資する動きも目立ちます。JCBがフィンテックの「Soft Space(ソフトスペース)」に、ヤマト運輸がECのバックヤードサービスを提供する「iStore iSend」(アイストアアイセンド)」に出資するなど、現地パートナーと一緒に事業展開する参入方法も増えているようです。
―日本企業にありがちな失敗や、進出時のアドバイスについてお願いします。
鈴木さん:
進出時にまず注意したい重要な点は、日本で売れているどんなに良いプロダクトを現地に持ってきても、売れるわけではないということ。
まずは「誰向けに?」というユーザー像を一番に考えるべきで、BtoBtoCの「C」を意識して展開すべきです。
半年ほど前にはKDDIが、クラウドサーカス社のMAツール「BowNow(バウナウ)」を代理店としてマレーシアで販売し始めましたが、販売先は日系企業が中心でSaaSを使うのはまだ200~300社程度です。ではローカル市場に展開するにはどうすればよいのかと言えば、やはり現地パートナーと連携し、現地化できるチームを構築する必要があります。
もう1つ重要な点は人件費です。
初めからマレーシアは人件費が安いという固定観念で事業計画をつくることは問題があります。現地では年々人件費が上昇し、中でもデジタルテック領域のミドル層以上ではとても高騰しています。日本と逆転の可能性もあると言われているほどで、どのような人材を確保して一緒にやっていくのか、そこをしっかり押さえたうえで人件費を計上していくことが不可欠です。
そして、事業をうまく回すには、やはり何よりも
現地パートナーとの連携が不可欠です。パートナー選びは難しいですが、例えば日本に留学していたとか、日本で事業立ち上げの経験があるとかという人は、言葉だけでなく日本の市場や習慣を理解しているし、探してみると比較的多い。まずそういう人たちにリーチし、協業パートナーとして適切な人を紹介してもらうことも1つの手です。
また、日本企業に投資経験があるとか、リミテッドパートナーとして出資しているベンチャーキャピタルとか、そのようなところにコミットしてネットワークをつないでいくことも効果があります。彼らは日本企業がやりたいことがわかっているし、日本企業の目線でパートナーを見出してくれる可能性があると思います。
日本企業の特徴として、大きな失敗はできないと思い込むことや、意志決定が難しいということが挙げられます。しかし、現地のパートナー企業にイニシアチブをとってもらいながら、事業を小さく回していく手法を取り入れることで、成功への可能性が開けると考えられます。