インターネット経由でソフトウェア提供する「SaaS(Software as a Service)」は、今や国内外で大きな潮流となっています。現在ベトナムには1,985社の日系企業が進出し、JETRO(日本貿易振興機構)が2021年に発表したアンケート調査によると、日本企業が選ぶ事業拡大先として中国に次ぐ第2位(*1)に選ばれました。
*1:https://www.jetro.go.jp/ext_images/_News/releases/2021/3ae53c9f535e9263/digest20210129.pdf
本記事では、ベトナムでベンチャーキャピタル事業を手がける株式会社ジェネシア・ベンチャーズ ベトナム代表の河野優人さんに、投資を通じて見えてきた現地におけるITやSaaSの成長パターンをはじめ、伸びている分野や企業、課題や展望などについて語っていただきます。
前編はこちら
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<河野優人氏プロフィール>
株式会社ジェネシア・ベンチャーズ ベトナム代表
サイバーエージェント・ベンチャーズ(現:サイバーエージェント・キャピタル)でインドに常駐後、2017年よりジェネシア・ベンチャーズに参画し、東京、ジャカルタオフィスを経て2020年にベトナム代表に着任。日本・東南アジア・アフリカのMarketplace、SaaS、Fintech、Edtech、Healthcare、Web3領域の投資を担当している。
(ジェネシア・ベンチャーズ公式サイト:https://www.genesiaventures.com/)
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ベトナムにおけるIT・SaaS業界の現状
― ベトナムのIT業界の現状や、どのような分野や業種、企業が伸びているかを教えてください。
河野さん:
ベトナムのIT業界の歴史を見ると、
大きく三つの世代に分けることができます。
第一世代はVNGやFPT、STIやVNPのようなITコングロマリット型の企業がけん引し、第二世代はTiki、Sendo、MoMo、VNLife、Foodyといった総合型Eコマースや決済サービス、モバイルアプリのようなBtoC事業が大きく成長しました。
現在の第三世代でも引き続きBtoCで大きく伸びている企業もあり、例えば私たちの投資先のSellyのように誰もが在庫なしでEC商品販売を開始できるBtoCtoC型のソーシャルコマース分野が伸びています。Sellyが厳選したサプライヤーの商品を自社プラットフォームに登録し、販売者となるリセラーユーザーが自分で実際に商品を使ってみたうえで、家族や友人、SNSのフォロワーに勧める販売手法です。ハノイやホーチミン以外のエリアでは、まだECでの商品購入に不安を抱く人も多いのですが、人を介したソーシャルコマースはこういった層にうけています。
フィンテック分野も有望で、中でも融資領域は注目されています。例えば私たちの投資先のFundiinはECサイトと連携し、ユーザーが金利なしで使える“後払いサービス”を展開しています。ベトナムでは銀行口座やクレジットカードを持つ人が少なく、8割の人は自分の信用情報が存在していない状態です。ただ、Fundiinの後払いシステムをうまく利用しきちんと返済していくことで信用情報のスコアが積み上がり、将来自動車ローンや不動産ローンを組むことができるようになる可能性もあります。
SaaS分野のホリゾンタル市場はHR、会計、請求書管理が中心
― SaaS分野ではいかがでしょうか。まずはホリゾンタル市場についてお願いします。
河野さん:
マーケティングや会計、人事や労務などのプロダクトを、産業横断で提供するホリゾンタル市場には、中小企業向けと大企業向けのプロダクトがあります。ベトナム最大手IT企業のFPTのような第一世代が大手企業にERPシステムなどを提供することでIT産業が成長してきたのですが、
現在は中小企業向けのSaaSも花開き始めているところです。
一例を挙げると、2021年にFPTが買収したBase.vnが、情報管理システムやHRM(人材管理システム)などを中小企業に提供するSaaSとして有名です。ただベトナムでは、まだ中小企業向けSaaS市場の準備が整っているとは言い切れません。
スタートアップが手がける大企業向けSaaSについては、数は多くはありませんが、電子請求書受領管理システムを提供しているBizziいうSaaSがあります。家計簿アプリやクラウド会計ソフトを展開する日本SaaS企業のマネーフォワードも投資している企業ですが、ベトナム政府が2022年7月に電子請求書の発行を義務化する法令が施行予定だというチャンスを捉え、さまざまな業種の企業にプロダクトを提供しています。大企業に新たなシステムを導入してもらうには、こういった大きな変化の波に乗ることが重要で、そのチャンスを逃さず市場参入したのが事業成長している理由の一つです。
HRでは勤怠管理システムと給与前払いシステムも注目を集めている分野で、これらを手がけているNanoとGimoという2社があります。ベトナムは個人のキャッシュフローに課題を抱える人が多いため、勤怠管理システムと給与前払いシステムを連動させることでこの課題の解決につなげています。
― 主力のHR領域ではさまざまなソリューションが導入されていると聞きました。
河野さん:
積みあがったデータをもとに離職率の高そうな従業員を見つけたり、従業員のケアを手厚くしたりすることで従業員の離職率を低下させるSaaSも生まれてきています。この背景には
ITエンジニアの採用が困難で売り手市場になっているという問題が存在しています。海外の大手IT企業が開発拠点をベトナムに作ったり、多くのベンチャーキャピタルがベトナムスタートアップに多額の投資をしたりと優秀な人材の獲得競争が激化しています。
また、ベトナムではゲームが人気で昔からゲームスタジオが多いのですが、こういったゲーム関連会社がブロックチェーンを活用してWeb3の世界に入ってくる動きも激しく、他社のエンジニアを引き抜くケースが増えています。そのため、優秀な人材をなんとか引き止め、満足して長く働いてもらおうと、メンタルケア含めた支援や福利厚生を手厚くする取り組みが少しずつ企業に広がり始めています。
SaaSのバーティカル市場はPOSシステム、ECサイト構築サービスが好調
― ベトナムのSaaS分野で、バーティカル市場の動きはどうでしょうか。
河野さん:
業界特化型プロダクトを提供するバーティカル市場で特に伸びているのは、やはり
小売分野です。POSシステムや在庫管理システムを中心に複数プロダクトを提供するKiotVietという企業が、小売店や飲食店を相手に大きく成長しています。そのほか、日本のBASEやSTORESのようなECサイト構築サービスを手がけるSapo、Haravanといった企業も好調です。
ベトナムはフェイスブックが人気で、ここで商品を買う人がとても多いです。今までオフライン店舗やフェイスブックで商品を売っていた中小事業者が独自ECサイトを立ち上げて、売上を増加させると同時に販売業務を効率化したいと考え、こういったSaaSプロダクトを導入するようになりました。
― コロナ禍で伸びた分野はございますか。
河野さん:
やはりロックダウンで店が閉まっていたこともあり、
フードデリバリーが大きく伸びました。現在はSaaSという形ではなく、日本のウーバーイーツのようなサービスが中心ですが、個人的には今後この分野でSaaSのアプローチも増えるのではないかと期待しています。というのは、現在のマーケットプレイス型だと手数料が20~30%程度と大きいため、店舗がSaaSを利用して自分たちでECサイトを作り、そこで注文してもらうという形が増えていく可能性があると思っています。
ベトナムでは人件費が安いこともあり、業務効率化を主眼に置いた中小企業向けSaaSの市場規模はまだ限定的なため、当社はB2BでEコマースやマーケットプレイスとして市場参入する企業への投資に力を入れています。例えば、日本人が代表のKAMEREOという企業は生産者から直接食材を仕入れ、それを飲食店や小売店向けに販売するBtoBの仕入れプラットフォームを展開しており、注文に応じて各店舗に商品を配送します。
飲食店はこれまで卸市場などに行って個別に食材を仕入れていましたが、時によって商品の価格や品質が異なるうえに手間もかかるため、KAMEREOの利便性がうけています。同社はベトナムで鶏肉シェアがナンバーワンのタイの大手財閥CPグループから出資を受け、現在は肉、海鮮、野菜など幅広い食材を扱っています。
また、ヘルスケア分野で同じようなソリューションを薬局向けに提供している企業として、BuyMedが挙げられます。べトナムは国民1人当たりの医師の数が少なく病院もとても混むため、薬局がかかりつけ医のような重要な役割を果たしています。多くのベトナム人は具合が悪いとまず薬局に行って相談して薬をもらい、数日しても回復しない場合に初めて病院で診察を受けるという形になります。
医薬品を扱う問屋が並んでいる卸市場もあるのですが、毎回仕入れのたびに市場に行く手間がかかるのはもちろん、価格がバラバラで、中には偽薬もあるという問題があります。BuyMedは薬局向けアマゾンのようなイメージで展開していて、薬局はBuyMedのECサイトで注文すれば必要な医薬品を配送してもらえます。
― ホリゾンタルとバーティカルを比べると、ベトナムではどちらの分野が伸びているのでしょうか。
河野さん:
全体像としては、
バーティカルの方が足元で早く立ち上がっていると感じます。ホリゾンタルも今後伸びていくだろうとは思いますが、ベトナムは市場分散型で大きな企業が少ないことから、ホリゾンタルSaaSで一番大手とされるBase.vnでも企業価値は100億円には届いていないと言われています。日本のホリゾンタルSaaS上場企業では時価総額1,000億円~3,000億円のところも複数あるのですが、ベトナムでその規模のホリゾンタルSaaSが生まれるまではもう少し時間がかかりそうです。
バーティカルSaaSでは、業務効率の見直しを図って人件費削減につなげるものと売上増加を目指すものに分かれますが、人件費の安いベトナムで人気があるのはサービスを使うと売上が伸びたり新規客開拓につながったりするものです。そういった背景から、より安く良質な商品を仕入れて販売することで顧客の増収につながるKAMEREOやBuyMedのようなサービスが、市場に刺さっています。こういった企業がまずはBtoBのEコマースやマーケットプレイスで顧客の心をつかみ、さらに在庫管理システムやCRMのようなSaaSサービス、そしてFintechサービスを展開するという順序で市場に深く食い込み、産業のDXを実現できると考えています。
多くの分野で日本企業がベトナム市場で貢献できる可能性
― 今後のベトナムSaaS市場の展望についてお聞かせください。
河野さん:
東南アジアはどの国も伸びていますが、日系企業の進出先としてベトナムは特に注目すべき市場だと思います。中間層の1人当たりGDPが今後10年で2倍以上に成長するというタイミングのうえ、ベトナム人は親日なので事業面でもやりやすいというメリットがあります。
また、ベトナムのテクノロジープロダクトはインドやインドネシアほど高度化されていないため、
相対的に日本のSaaS企業にとっては参入しやすいはずです。顧客課題を深く理解した上でのローカライゼーションは不可欠ですが、現地のプロダクトだけでは解決できない課題も多いため、様々な分野で日本のSaaS企業が貢献できる可能性があります。
― ベトナムは中国や韓国などから見ても有望な市場だと思いますが、現状はどうでしょうか。
河野さん:
ECでは中国製品も多く売られていて、経済的には中国も確かにマーケットに影響を及ぼしています。ただ、やはり
進出意欲がめざましいのは韓国で、SamsungやLGなど大手財閥の製造拠点や研究開発拠点が数多く作られています。在住人口も日本人が2万人なのに対し、韓国人は10倍の20万人で、得意のKポップやコリアンドラマ、美容関連商材などがベトナム市場に大きな影響を与えています。
最近は日本からも「ドラえもん」や「名探偵コナン」などのIPをベトナムで展開するなどの動きもありますが、日本には若年層を中心に強みを発揮できるマンガ・アニメ文化などが存在しています。こういった分野においてももう一押しして、韓国に負けずにマーケットへの影響力を発揮して欲しいと思っています。